ついついやめられずに・・・ レクレーション...やってしまいます。しかし、今はやりのレクレーションタイミングを持っているわけではありません。赤ん坊が欲しいと言っても買わない。 何故かと言うと、ハマってしまうのが分かっているから。 ですから、レクレーションと言えば、パソコンで無用レクレーションで遊ぶ次元。それでも、これもやめられない...。 やっちゃいけない!近年やっちゃ~御法度!と、思っても、つい...。 赤ん坊に吊り上げるな!1暇だけとか言いながら、身はどうなんだ...。夜間一人でパソコン開けて、気づけば朝...。 あれは、一種の麻薬ですね。 昔から、レクレーション贔屓。 DSなんて製品も、まだない頃にあった小さなレクレーションタイミング。そのちっちゃなレクレーションタイミングでテトリスなんてやりだしたら、水準がと ことん伸びるまで、閉めない。 今も、必死になってしまう我々がいる。 でも、レクレーションに助けられて掛かる事もある。 それは『皆無』に生まれ変われるから。 近年、とってもしんどい事が有った。その事を考えているだけで涙が出てくる。 考えたくないけど、やっぱり常に頭の片隅における。 でも、レクレーションをしているシーンだけは、なんだか忘れられて掛かる。その論点が解決するわけでも、何でもないのだけど、その時だけは、考えずにすん でおる。 ホントに『別世界』に行っているかのように。 論点がレクレーションのように解決していけばいいとも思うが、ただ、『皆無』の暇を与えて受け取るレクレーション・・・きっと、これからもやめられないと 思う。

忘れられないドラゴンクエスト 何の件でだったか忘れてしまったけれども、子供の頃家族で秋葉原に買物に行ったときに、ファミコン以前のドラゴンクエストを見たことがある。 ゲームウォッチしか知らなかった自分にとって、忘れられない触れ合いだった。 トーンのディスプレイにデフォルメされた性格。コマンドを入力して仇と競り合う。天王山が終わったらスポットを歩き回る。たったこれだけの案件なのに、面 白くて仕方がない。 両親ってはぐれたのも忘れて、ひたすらひたすら実例版をレジャーしていた。 それから数年上、ファミコンブームが訪ねる。 まさかの"あの決戦"との再会。そこではじめて決戦のネーミングがドラゴンクエストだということを知った。 更に数年後には社会現象化。柔和を貰うために徹夜講じる好ましい年齢のアダルトたち。勉学を休む同級生。折角手に入れた柔和をカツアゲ繋がるなんて対話も あった。 公表太陽に入手しただけで主人公になれる柔和、それがドラゴンクエストだった。 数年前に懐かしさからDS版のドラクエを手に入れてレジャーしてみた。 当時のドラクエと比べると進みが手っ取り早い。 まず再建の呪文の覚え書きに失敗して泣いたり、推奨が頻繁に飛んで魔のBGMをしょっちゅう聞かされるなんてことが薄い。村人たちは雄弁に次のもくろみを 語ってくれるし、橋を渡ったらいきなり高レベルの魔物に出会って抹殺ですなんてこともなくなった。 面白さは色褪せないけれども、何か物足りなさを感じるのも実例。 決戦染みる今の時代に、持っているだけで主人公に生まれ変われる決戦は沢山あるのだろう。ドラクエもそういう時代に合わせて変化していったのだと、単独を 納得させてはみるものの、やっぱり寂しく受け取るのだ。

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